カディプロジェクトについて

カディプロジェクト イメージ

カディプロジェクトでは、インド最貧困といわれるビハール州の村を中心とした“糸つむぎ“からはじまる「手つむぎ手織り(※カディ)」による手仕事の普及で、村々に雇用を生み出し、継続的な自立や生活の安定を目指します。

はじめの取り組みとして、カーストの中でももっとも順位の低い指定外カースト(アウトカースト)の人々が暮らすハティヤール村において、インドの歴史的な背景を持った※カディの糸つむぎの仕事で雇用創出を作り、ハティヤール村の女性たちの自立に向けてカディ糸を作る技術の習得とその作業場の建設を目標とします。

プロジェクトの意義

これまで仏教の聖地であるブッダガヤでは、多くの支援が学校建設などの寄付による金銭的なものでした。
本プロジェクトでは、金銭的な支援ではなく技術支援および雇用創出を目的とすることから、サスティナブルな女性の自立支援に繋がることに最大の意義があると考えます。

※カディとは

インドがイギリスの植民地であった時代、マハトマ・ガンジーがインド独立のため「自らの衣服は自らで作る」という提唱のもと、イギリス製の機械織り製品に反対して「スワラージ(国内品愛用)」を唱え、手つむぎ・手織りによって作られてきた生地を総称してカディと呼びます。

カディ チャルカ(糸車)
カディ チャルカ(糸車)

数年前までは高級品のため、インドの一部の富裕層にしか届かなかったカディ。近年インド国内では経済発展に伴う収入の増加などでカディを手にする機会が増し、改めて手つむぎ・手織りの素晴らしさが見直されています。
高品質な素材を求めるヨーロッパや日本でも高い評価を得ており、国内外問わずその需要は年々高まっています。

ハティヤール村で仕事を必要とする人々と出会い、プロジェクト始動へ

合同会社 NIMAI-NITAI代表 廣中桃子

NIMAI-NITAI代表/デザイナー。
カディプロジェクト発起人。
マザーテレサの活動に感銘を受け2007年に初めてインドを旅する。その旅で最貧困ビハール州にあるブッダガヤの村人との出会いがきっかけとなり、2012年にブランドを設立し、1年の半分をインドで過ごす。貧困解決のためには「仕事」が必要であると痛感し、ブランドを通した雇用創出に尽力している。

NIMAI-NITAI代表 廣中桃子

インドとの出会い

このカディプロジェクトをスタートさせるきっかけとなったのは、遡ること12年前の2007年、NIMAI-NITAI代表の廣中がブッダガヤを訪れたことでした。
高校時代に、アフガニスタンから日本に逃れていたある難民との出会いをきっかけに国際協力に興味を持ち、経済的・社会的な理由で自分ではどうすることもできない困難な状態の人々のためになる仕事がしたい、と考え始めました。
そんな中で、尊敬する「最も貧しい人のため」にその一生を捧げたマザー・テレサが活動していたインドへと意識が向き、大学最後の冬休みを利用して赴いたのがブッダガヤだったのです。

支援への道のり

このきっかけを基に、ブッダガヤの孤児の教育サポートに携わることになり、3年近く足を運び続けました。
そんな過程の中でブッダガヤの女性たちから「洋裁を学びたい」という声が多く挙がっていたことを受けて、2009年2月、合同会社NIMAI-NITAIを設立。オリジナルブランドの展開を開始します。

AOZORA SCHOOL
AOZORA SCHOOL
現地でのハンドワーク”刺し子”指導
現地でのハンドワーク”刺し子”指導

ハティヤール村との出会い

NIMAI-NITAIを立ち上げたのち、ブッダガヤの村に入ったのは2012年の秋。初めの3年ほどスジャータ村を拠点としていましたが、ある時そこから更に奥地にあるハティヤール村の人々と交流を持つようになりました。この村がアウトカースト(不可触民)の人々が暮らす村だと知ったのはずっと後のことです。

その頃前述のスジャータ村の人々と仕事をするにあたって、「支援」というレベルから抜け出すにはどうすればいいのか、そのやり方や関係の築き方に行き詰まり、ブッダガヤからの撤退をも考えている時期でした。

ハティヤール村 の子供たち
ハティヤール村 の子供たち

しかしハティヤール村のあるひと組の夫婦の存在が、私を踏みとどまらせてくれたのです。
それぞれ足に障害を持ちながらも、夫のスニルさんは足踏みミシンが、妻のギータさんは手刺し子が得意なご夫婦。2014年、ハティヤール村で出会った当初は笑顔もなく、会話を交わすこともありませんでした。そんなふたりとの関係でしたが、細々と3年ほど仕事を続けた現在では、笑顔はもちろん、家を訪ねるとチャイや彼らには高価であろうビスケットなどを用意し、精一杯もてなしてくれるようになりました。
彼らほど真剣に仕事に取り組んでくれたのは初めてのことで、村人との関わり方に悩んでいたこの頃、このご夫婦の存在で小さな希望が見えた気がします。

ハティヤール村 スニルさん一家
ハティヤール村 スニルさん一家

支援の形の変化(カディ糸生産が適していると考えた経緯)

しかしNIMAI-NITAIに関わるビジネスだけでは彼らの貧困解決に十分な仕事を提供できず、何か地域を底上げするプロジェクトが必要でした。
アウトカーストの村であることや素朴な生活スタイルや習慣から考えて、縫製技術を向上させるよりも彼らの生活スタイルに自然と取り入れやすいこと。また一時的な支援や雇用ではなくできる限りこの先何十年、さらには百年先まで持続可能な仕事はなんだろう。
NIMAI-NITAIが洋服制作でずっと使用しているカディの制作に携わる仕事はないだろうか、と考え、インド他州での成功モデルもあるカディ糸生産が適しているのではないかと思い至りました。

カディ糸
カディ糸

カディプロジェクト発案から始動へ

思いが固まったらそこからは迷いがふっきれ、プロジェクトとしての計画を立て始めました。
2015年から2017年にかけてカディ糸生産の導入について具体的な調査を慣行。その一環でカディを提唱したガンジーの故郷グジャラート(州)のアーメダバードにあるガンジーアシュラムを訪問した際に、偶然にもビハール州のカディ組合の方にお会いすることができたのです。
その方の紹介を受け、カディ組合本部のトップの方ともご縁ができたことでプロジェクトは加速するかに思えました。

しかしここで大きな課題に直面します。カディ糸生産の工場建物の建設と資金調達です。
自分達だけでは成し得ない大きな課題でしたが、感謝すべきことに、ここでもこのプロジェクトを後押しするような出会いがありました。

学校法人安城学園さまのご協力により、ハティヤール村で実施する糸紡ぎの訓練および就業施設の建設費を寄付していただくことが決まりました。安城学園様に大きく背中を押していただき、プロジェクト実現に向けて歩みを進めているところです。

2007年にブッダガヤを初訪問してから、16年がたちハティヤール村に小さな産業を生み出す日も近づいてまいりました。引き続きこのプロジェクトへの応援をよろしくお願いいたします。